プロフィール
HN:
ITTO(いっと)
年齢:
43
HP:
性別:
男性
誕生日:
1982/01/22
職業:
お花・お庭・農業・キャンドル・絵
趣味:
生きる事・・・一日一日また一秒の一瞬の感動を見逃さない為に
カレンダー
出展先
札幌会期:2008.1.26 (sat) - 27 (sun)
会 場:PRAHA2+deep sapporoと近隣住宅の東側玄関前
札幌市中央区南11条西13丁目2-12 map→
岩見沢会期:2008.2.14 (thu) - 17(sun)
会 場:ナカノタナ市場前・ぷらっとパーク
岩見沢市4条西2丁目 map→
主催・企画:PRAHA Project
支 援:文化庁
特別協賛:株式会社秀岳荘:http://www.shugakuso.co.jp/
協 力:岩見沢市商店街振興組合連合会・新規事業委員会
問い合せ:deep_iroheya@yahoo.co.jp
うーーーんと・・・地球?
ワンダーシード2008
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今現在、僕の人生を一つの本と見たとしてそれは題名のない一冊の本なのかも知れない。
月日が流れ、イメージが生まれそれが1つの章となり、または文節となり。作品となって排出されていきます。
また作品は平面作品でもなく立体作品とも限りません。その時の心境、目に映る風景を断片化し、またそのイメージを融合して作ります。
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2025.02.09 11:07
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ゴールデンウィーク
2007.05.03 22:21
ゴールデンウィークも、もう後半。
僕は、園芸店で働いているため仕事です。
合い言葉は「みんな財布の紐が緩むからゴールデンなウィーク」
なんて負け惜しみ。
でも、ここ北海道の園芸店にとっては一番良い季節。
みんな花を植えよう、身近に花があるって素晴らしい。
クロード・モネは晩年花に魅せられてこう言った。
「画家の貧乏なパレットでは花の色は表現できない」
あんなに色彩の素晴らしい絵を描くモネですらこう思った。花はとても神秘的な色彩を放つ、僕も恐れ多いがモネに共感する。 庭をパレットにして沢山の花を植えて自分の好きなように彩る。そこにはモネが待っているのかもしれない。 参考サイト クロード・モネ
僕は、園芸店で働いているため仕事です。
合い言葉は「みんな財布の紐が緩むからゴールデンなウィーク」
なんて負け惜しみ。
でも、ここ北海道の園芸店にとっては一番良い季節。
みんな花を植えよう、身近に花があるって素晴らしい。
クロード・モネは晩年花に魅せられてこう言った。
「画家の貧乏なパレットでは花の色は表現できない」
あんなに色彩の素晴らしい絵を描くモネですらこう思った。花はとても神秘的な色彩を放つ、僕も恐れ多いがモネに共感する。 庭をパレットにして沢山の花を植えて自分の好きなように彩る。そこにはモネが待っているのかもしれない。 参考サイト クロード・モネ
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生きる
2007.05.03 21:50
最近、生きていることに感動する。
死んだ状態で生まれてきた事はよく小さい頃から言い聞かされてきた、でも実感がないから気にしてはいなかった。
1年くらい前、精神科に通っていた。
自分の中では、相当やばかったから。
なんか自分がバラバラになる夢によくうなされていて夢か現実かの区別もわからなくなっていた。
もっとひどい状況の人は沢山いる。
その病院に通う半年前に友人に絵を描く約束をしていた。
『オレ、3/27までに絵を描いて1年以内にライブペイントするよ。』
なーんてね、かっこ付けちゃった。友人がひどく落ち込んでいたからで、なんか勇気づけることないかなって思って。
でもそんな状況・・・携帯もストップしたし逆に心配かけてしまった。
仕事は行かなくなった、仕事に原因があるのがわかっていたから。
約束の日は目前、貼り絵で描いた。プーだからフランスパンと水でしのいで。
なんとか約束に間に合いみんなに見せる事が出来た、みんな喜んでくれた。絵にそんな力があるって知らなかった、描いた本人の内面はひどい状況だったけど。喜んでもらい逆に勇気をもらってしまった。
数日後、病院の待合室で。
『あれっ?オレここに居ていいのか?』
そんな風に思った。
なんか、逆にみんなに救われてしまった。
病院から出て、春の風が新鮮に感じ目の前が全然違う光景に見えた。今もなお。
それから描き続ける事にした、ライブペイントもしなければならない訳だから・・・
あとはまた追々書く事にして本題へ。
1枚の絵がキッカケとなって生まれた時の事、1年前の出来事、走り屋で親と散々もめた事、また幼少の頃身体が弱く病院から出れなかった事。・・・友人が自殺した事。
などをしっかり見つめ考えることにした。
生きてここに立っている事が素晴らしいこと。
もうそろそろ、この恩を返す番じゃないかな。
なんてね。
どこまで出来るかはわからない。
でも、押し付けにならずに僕の絵が何かのキッカケになっていたら幸せだと思う。
画風も変わった、暗い色から明るい色へ。
今はより長く生きたい。
死んだ状態で生まれてきた事はよく小さい頃から言い聞かされてきた、でも実感がないから気にしてはいなかった。
1年くらい前、精神科に通っていた。
自分の中では、相当やばかったから。
なんか自分がバラバラになる夢によくうなされていて夢か現実かの区別もわからなくなっていた。
もっとひどい状況の人は沢山いる。
その病院に通う半年前に友人に絵を描く約束をしていた。
『オレ、3/27までに絵を描いて1年以内にライブペイントするよ。』
なーんてね、かっこ付けちゃった。友人がひどく落ち込んでいたからで、なんか勇気づけることないかなって思って。
でもそんな状況・・・携帯もストップしたし逆に心配かけてしまった。
仕事は行かなくなった、仕事に原因があるのがわかっていたから。
約束の日は目前、貼り絵で描いた。プーだからフランスパンと水でしのいで。
なんとか約束に間に合いみんなに見せる事が出来た、みんな喜んでくれた。絵にそんな力があるって知らなかった、描いた本人の内面はひどい状況だったけど。喜んでもらい逆に勇気をもらってしまった。
数日後、病院の待合室で。
『あれっ?オレここに居ていいのか?』
そんな風に思った。
なんか、逆にみんなに救われてしまった。
病院から出て、春の風が新鮮に感じ目の前が全然違う光景に見えた。今もなお。
それから描き続ける事にした、ライブペイントもしなければならない訳だから・・・
あとはまた追々書く事にして本題へ。
1枚の絵がキッカケとなって生まれた時の事、1年前の出来事、走り屋で親と散々もめた事、また幼少の頃身体が弱く病院から出れなかった事。・・・友人が自殺した事。
などをしっかり見つめ考えることにした。
生きてここに立っている事が素晴らしいこと。
もうそろそろ、この恩を返す番じゃないかな。
なんてね。
どこまで出来るかはわからない。
でも、押し付けにならずに僕の絵が何かのキッカケになっていたら幸せだと思う。
画風も変わった、暗い色から明るい色へ。
今はより長く生きたい。
絵を描く
2007.04.21 02:22
絵(落書き)大好きです。
見るのも大好きです。
楽しいんです。
ってことで今日はこんなお話
昨日の授業は「イメージと決心」
イメージを最大限に広げて決断し実行すれば良いって話。
ってことを聞き、自分に照らし合わせる。
去年、突然に絵を描きはじめた。わけわからん絵・・・。
「なんで、描くの?」
なーんてよく聞かれた。とそこで僕は
「SoHoにアトリエがあってMOMAで個展するから」
聞く人は全員引いていた。
「レッドカーペットの上を歩いて赤いラベルのシャンパン空けるんだよ」
って続けると、もっとドン引き・・・
その時は「あー、禁句なの?」なんて思って封印しました。
でもさ、なんか昨日の授業からするとその発言は、大正解のハナマルな気がする。
では開封。今日からまた使おう。だってイメージ大事でしょ。
*****************************
もっとさかのぼると19歳の僕。
その時、ホントに落書きしていました。でも気に入ってくれる人がいて絵の依頼が来ました。人生で初めて売った絵。
売ったと言っても、知り合い関係ですけどね。
その絵は、幕張メッセでその依頼してくれた人の会社のブースへ。
今思えば・・・実は、幕張メッセがデビューでしたね。
そのブースで看板として飾られていました。
なんと、その絵を見てパトロンになると言い張る外人さんがいました。
でも絵の収入もあって、そんな事はつゆ知らず日本を諸国悠々と旅行を楽しんでいた僕。携帯もオフ。
依頼した知人も、後に自分の事業に僕を利用したかったんでパトロンの話は即決で断ってくれました。
うーん、惜しい話だねぇ。
いま、そんな話があったなら決心すると思った。
だってパトロンさんの条件が「母国に一緒に帰ってアカデミックな教育を受けさせる」だったんだって・・・当時、技術的に金銭適に美大あきらめた自分だったもんね。
見るのも大好きです。
楽しいんです。
ってことで今日はこんなお話
昨日の授業は「イメージと決心」
イメージを最大限に広げて決断し実行すれば良いって話。
ってことを聞き、自分に照らし合わせる。
去年、突然に絵を描きはじめた。わけわからん絵・・・。
「なんで、描くの?」
なーんてよく聞かれた。とそこで僕は
「SoHoにアトリエがあってMOMAで個展するから」
聞く人は全員引いていた。
「レッドカーペットの上を歩いて赤いラベルのシャンパン空けるんだよ」
って続けると、もっとドン引き・・・
その時は「あー、禁句なの?」なんて思って封印しました。
でもさ、なんか昨日の授業からするとその発言は、大正解のハナマルな気がする。
では開封。今日からまた使おう。だってイメージ大事でしょ。
*****************************
もっとさかのぼると19歳の僕。
その時、ホントに落書きしていました。でも気に入ってくれる人がいて絵の依頼が来ました。人生で初めて売った絵。
売ったと言っても、知り合い関係ですけどね。
その絵は、幕張メッセでその依頼してくれた人の会社のブースへ。
今思えば・・・実は、幕張メッセがデビューでしたね。
そのブースで看板として飾られていました。
なんと、その絵を見てパトロンになると言い張る外人さんがいました。
でも絵の収入もあって、そんな事はつゆ知らず日本を諸国悠々と旅行を楽しんでいた僕。携帯もオフ。
依頼した知人も、後に自分の事業に僕を利用したかったんでパトロンの話は即決で断ってくれました。
うーん、惜しい話だねぇ。
いま、そんな話があったなら決心すると思った。
だってパトロンさんの条件が「母国に一緒に帰ってアカデミックな教育を受けさせる」だったんだって・・・当時、技術的に金銭適に美大あきらめた自分だったもんね。
NPO法人はまなすアート&ミュージックプロダクション
2007.04.15 02:28
初ブログ
2007.04.09 02:20
去年の春、突然に絵を描いてみて・・・創作活動がスタート。 ブログ初挑戦です、いやいやわかんない事ばっかで大変、大変。
まさか、谷商店さんと出会いこんなことに話が進んでいくとは1年前には想像もつきませんでした。
作品作ります。作ります。頑張ります。
作品自体は、ジャンルにはこだわらなです。と言っても自分が作るものがどのジャンルに属しているのかもさっぱり。
なんで少しは勉強が必要かなと思いまして今年CAIのアートスクールに通う事に決めました。授業で受けた印象なども日々アップしていければと思います。
ではでは、これからよろしくお願いします。